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西有家Web情報誌 西有家どっとこむみそ五郎

歴史と豊かな自然、新しい出会いの町
          西有家町
遥かなる時を越え、この地に残る
数多くのキリシタン遺跡。

有家・西有家・北有馬・南有馬・口之津・加津佐
島原の乱 天草四郎
キリシタン史跡公園 有家町 ●問い合わせ 有家町教育委員会 TEL0957-82-6400
「島原の乱後350年行事」の一環として設置された史跡公園で、研指定文化財キリシタン墓碑3基を含む墓碑、猿岩等が設置されている。有家町には現在53基のキリシタン墓碑が確認されている。また天正年間には2つの大きな教会があり住民はすべて信徒であったと伝えられている。しかし、それ以前は仏教の都?として栄えていたので、仏教遺跡とキリシタン遺跡が混在するところで、歴史的意義深い史跡が多い。
[アクセス] 島原鉄道有家駅より車で5分
キリシタン墓碑 西有家町 ●問い合わせ 西有家町役場企画振興課 TEL0957-82-3000
 ローマ字入りキリシタン墓碑は、昭和4年に向浜(東向共同墓地内)で発掘され、美しい蒲鉾型で軸の一方にローマ字墓表。他に花文字を彫り背面にも縁いりの大きな花文字があります。西暦で記された1610年は日本最古です。(国指定史跡)
[アクセス] [島原鉄道西有家駅から車で3分]
日野江城跡(大手門跡) 北有馬町 ●問い合わせ 北有馬教育委員会  TEL0957-84-3101
平成10年8月、国指定史跡「日野江城跡」から金箔瓦が出土しました。金箔瓦は豊臣政権の中でも重要な位置を占める城郭に使用されており、いわば秀吉のお墨付きを得たことを示すステータスシンボルでした。金箔瓦が出土したことは四万石の小大名にすぎなかった有馬晴信が秀吉と親密な関係であったことを意味する物的証拠として極めて貴重なものです。
 日野江城は有馬4代連澄の建保年間の築城と推定され、全盛時には高来・藤津・神崎・三根・佐賀の六郡を服属させ21万石の大名となりました。
 1614年、14代直純が、日向(延岡)へ移封されるに至る400年間の本城でした。
[アクセス] 島原鉄道北有馬駅より車で3分
原城跡(国指定史跡) 南有馬町 ●問い合わせ 南有馬町教育委員会TEL0957-85-3111
 明応5(1496)年、東肥前までも勢力を延ばし当時26万石ともいわれた領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ難攻不落の天然の要塞で、本丸・二の丸・三の丸・天草丸からなり、別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であった。
 日本のキリスト教の歴史を語る上で欠かすことが出来ない出来事、島原の乱。天草四郎の墓をはじめ、乱に関する史跡がいまもなお、町の人々の手で大切に守り、様ようなかたちで受け継がれている。歴史の町、南有馬町では、当時の貴重な文化遺産に触れることが出来ます。
[アクセス] 原城本丸まで、原城駅より徒歩15分
キリシタン墓碑 口之津町 ●問い合わせ 口之津町教育委員会TEL0957-86-2134
永禄6(1563)年アルメイダが口之津町で伝道し洗礼を授け、以来口之津はキリスト教の日本における伝道の拠点となる。この墓碑に刻まれている花十字の線彫りは数少ない。(昭和2年県史跡指定)
[アクセス] 口之津駅から1.5km
キリシタン墓碑 加津佐町 ●問い合わせ  加津佐町役場産業課 TEL0957-87-2001
 キリシタン墓碑が野田浜に2基、須崎墓地に6基ある。野田浜の墓は菓子箱型で、その1基には美しい花十字が刻まれている。須崎墓地の1基はかまぼこ型で「慶長十八年?月二日年二十九石村寸」と文字で刻んである。最近では「石村寸」を「る井す」と読むのが当を得ているとの説が強い。
 この1基だけは現位置を動いていないものと思われる。また菓子箱型2基があるが、浮き彫りの台付ラテン十字を他の1基には薬研彫りの台付千十字を刻んでいる。 昭和2年11月8日 (長崎県指定文化財) 
[アクセス] ・野田浜の墓は国道251号線野田停留所より徒歩5分
・須崎墓地は島鉄加津佐駅より徒歩7分